2015年10月11日日曜日

次回の集まりは10月13日(火曜日)です


 TOSMOSでは、1013日(火曜日)に、下記のとおり「報告会」をおこないます。なお、次回の報告のテーマの「ナガランド訪問報告」は、当初の予定では、前回(107日)におこなう予定でしたが、前回は予定を変更して、インド北東部の他の州(主にアッサム地域)についての報告となりました。見学自由・参加無料ですので、1013日(火)はぜひ、お気軽にお越しください

【次回の集まりの詳細について】

○日時:1013日(火)1900分から

○報告者:TOSMOS会員

○テーマ:ナガランド訪問報告――インド北東部の現状
 

○場所:キャンパスプラザB312(TOSMOSの部室

※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_43_j.html

○報告者による内容紹介:
今夏インド北東部を旅行した部員による主にナガランド(コヒマ)の現状の報告です。日本ではインド旅行者にもあまり知られていないエリアで、長らく独立運動に伴う紛争により入域を制限されてきました。報道でも触れられることがないこの地域の現状はいかなるものかを、見てきたこと聞いてきたことを過去の歴史を踏まえて発表します。国際問題、少数民族問題に関心ある方また単に旅行好きの方も奮ってご参加下さい。
 
 なお、今後の学習会等の際には適宜、終了後に駒場祭に向けた打ち合わせも行う予定です。)

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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さて、TOSMOSでは、822日から24日までの23日の日程で、千葉県南房総市大房岬自然の家という施設にて、夏合宿をおこないました。夏合宿に参加の皆さん、お疲れ様でした。以下、遅くなりましたが、夏合宿のまとめを試みます。

夏合宿では、TOSMOSの駒場祭企画である「クルド人と考えるIS問題と中東の未来」に向けての準備として、学習会・読書会・映画鑑賞会をおこないました。すなわち、読書会では『クルド人 もうひとつの中東問題』(川上洋一著 集英社新書 2002年)を取り上げ、学習会(計2回)では「日本政府の難民政策とクルド人難民」と「クルド問題の基本――隠された中東問題再考」と題して、読書会も含めていずれもTOSMOSの会員が報告をおこないました。

まず、読書会では、テキストの著者の言葉として、「クルド人は祖国なき最大の民」(川上洋一)であることを確認しました。すなわち、トルコ・イラク・イランの三カ国(シリアを含めれば四カ国)にわたって居住しており、推定人口は2500万人にものぼり、独立や自治を求める闘争の歴史は20世紀初頭にまで遡ることができる。そして解放ゲリラ闘争を展開するクルド人とそれを軍事的に抑圧する各国中央政府との双方の犠牲者は数十万人を下らない。それらの点からも、「クルド問題は、発生の年代の古さも規模の大きさも根の深さも、パレスチナ問題をしのぐ」(川上)ことを確しました。そして、クルド人の“闘争”の歴史を振り返りつつ、クルド関連政党の指導者と構成員の政治・社会活動のプロセスを俯瞰しました。

続いて、「日本政府の難民政策とクルド人難民」と題した学習会をおこないました。そこでは、国際的な難民条約体制と日本の難民受け入れ体制について学習しました。そもそも「難民」の定義(「難民の地位に関する条約」=いわゆる「難民条約」 1951年採択)とともに、難民条約における難民の定義の特徴を確認しました。すなわち、「迫害を受けるおそれがある」という客観的な要素とともに、その「迫害」が「十分に理由のある恐怖」を伴うという主観的な要素の両方が必要とされている。そのため、難民として認定されるためには、その難民が感じた恐怖のみでは十分ではなく、迫害につながった事実の認定までが必要とされている現実があります。ここでいう「迫害」の理由として、人種・宗教・国籍・特定の社会集団・政治的意見の五つのカテゴリーを認めています。したがって、この五つのカテゴリーにあてはまらないような、戦争・内戦や自然災害に起因する難民や、いわゆる経済難民や環境難民等は、難民条約上は「難民」にはあたらないとされています。

そして、報告者は、難民認定手続きと難民に保障される権利はどのように規定されているのかについて詳しく触れました。スペースの関係で割愛しますが、難民に与えられる待遇でもっとも重要とされている、「ノン・ルフールマン原則」(難民条約33条)に言及しました。この原則は、「締結国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」とするものです。

また、日本政府の難民受け入れ体制の変遷と難民認定状況の推移をたどりながら、「日本は難民に冷たい国」と批判される、その理由を考えました。その理由として、様々挙げられますが、とくに、立証責任をめぐっては、日本政府は、難民申請者に対して立証責任を全面的に押しつける建前論を展開するのが通例となっていて、そのことが、日本の難民認定率の極端な低さという結果としてはねかえる一因となっているといえるでしょう。数値でみれば、それは歴然としています。たとえば、2014年では、難民認定の申請者数5000人に対して、難民庇護を受けた人は11人に過ぎないという現実があります。

さらに、夏合宿では、クルド人難民問題を考えるうえで格好の映像作品として、ドキュメンタリー映画『バックドロップ・クルディスタン』(監督=野本大 2007年)を鑑賞しました。あらすじは次のとおりです。映像系専門学校へ通う22歳の野本監督は、2004年にひょんなことからクルド人難民のカザンキラン一家と出会う。カザンキラン一家は、度重なるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)との衝突の末、やっと「難民」の認定を勝ち取ったはずだった。しかし、カザンキラン一家の父親と長男は、日本政府の手によって、出身国・トルコへと強制送還され、一家は離散(の危機)に直面する。なぜこんなことが起こったのか、どうしても理解できない野本監督は、カメラを片手に彼らを追いかけてトルコへと旅立つ。その先で、野本監督が知った衝撃の真実とは…。

この作品を観たわたし(飯島)の感想は、「素晴らしい」の一言でした。紋切り型の声高な問題告発型の映画とは異なり(それが一概に悪いとはわたしは思いませんが)、監督自身の素朴な“迷い”や“弱さ”から目を背けずに、むしろ自身の心の揺らぎに忠実な(あるいは、安易な「通念」でごまかさない)姿にわたしは深い感銘を受けました。そのことが、作品が秀逸なロードムービーに仕上がっていることの一因となっているのでしょう。この作品が個々の難民が精神的に物理的に置かれている具体的で多面的な状況を通して、難民問題一般の“深層”にまで辿りついています。そして、観客に対して、「あなただったら、どうする?」と問いかけ、考える作業を迫る(つまり“汗”をかかせる)作品内容となっていました。必見です。

夏合宿の最後に、「クルド問題の基本」と題して、クルド人をめぐる基礎知識について学習会をおこないました。まず、そもそもクルド人に関する報道は断片的であり、イスラームと比べても一般的な解説は少ない。特に日本の報道環境では、トルコが親日的であることから、トルコ政府に反抗的なクルド人は否定的に報道されることが大きいという事情があると、報告者は指摘しました。さらに、クルド人の基本データ、クルド前史、トルコ・イラク・シリア・イラン各国のクルド人問題に触れつつ、クルド人と日本との関わりにまで言及しました。

特に、報告者は、日本政府と日本の中東研究者によるクルド人問題への態度に対してかなり手厳しく批判しました。先述のように、日本はそもそも難民の受け入れには及び腰です。その点で、「難民条約加盟国としての先進国・日本」というのは「見事な看板倒れ」であると言えますが、母国を脱出しようとする難民は難民受け入れの看板を信じるしかないために、文字通りの悲劇が起きることになります。本来であれば、難民受け入れに積極的な欧州(特にドイツや北欧)に行きたいと願っているが、限られた選択肢のなかでのギリギリの選択として、一定のクルド難民は不幸にも行き先を日本にしてしまうことになります。そのことを鑑みても、さらに入管による外国人収容や抑圧国への強制送還をおこなうというように間接的にクルド人の弾圧に手を貸しているという意味でも、報告者は日本を「抑圧の共犯者」であると糾弾します。せめて加盟国の義務として、難民条約に加盟している他の国への亡命を斡旋すべきだが、それを怠るばかりか、劣悪な入管の収容所に押し込め、ある日突然本国に強制送還するように、「人権侵害に手を貸している」と指摘します。

さらに、トルコ政府はクルド人を「山岳クルド人」と呼び、公式的にその存在を否定してきたわけですが、それに倣うかのように、「山岳クルド人」として、クルド語をトルコ語の「方言」だと「解説」する、日本の一部の中東研究者の姿勢を批判しました。そして報告の最後で、トルコを中心とした最近の中東の動向を振り返りながら、ダーイシュ(「イスラム国」)の動向に触れつつ、現在クルド地域政府の自治が徐々に拡大が進んでいるのでは、との展望を示しました。

 以上、かなり長くなりましたが、TOSMOSの夏合宿の模様をまとめてみました。

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ここで、わたし(飯島)自身の、夏合宿に参加して考えたことを述べてみたいと思います。

先述のように、クルド人の存在を「分離主義」だとして、その存在を認めないトルコ政府は、クルド人を「山岳クルド人」と名づけて、真正な「トルコ人」に融合させようしています。その一貫した(あるいは硬直的とも言える)姿勢がわたしは気になりました。それは、「自分をトルコ人と呼ぶ人間は幸せだ」という台詞に象徴的にあらわれていると感じます。この台詞は、トルコ建国の「父」であるムスタファ・ケマル自身が1933年にトルコ共和国建国10周年の演説の結びで叫んだ言葉だとのことです。

この「自分をトルコ人と呼ぶ人間は幸せだ」という合言葉は、映画『バックドロップ・クルディスタン』のなかでも、野本監督がトルコの首都アンカラでトルコ人からたびたび聞かされています。彼(女)らがなんの屈託もなく(ためらいもなく率直に)語っている様子からも、その合言葉の持つ「呪縛」は相当に強力だといえます。その言説は、クルド人の存在を消去させるように流通し、機能しているとわたしは想像します。

夏合宿のテキストの『クルド人 もうひとつの中東問題』でも、著者がある高名な社会学者の言葉として紹介しています。すなわち、<トルコ公式イデオロギーは一貫して執拗に「クルドという人々、クルドという言語は存在しない」と主張し続けている。われわれが一口にケマル主義と呼ぶこのイデオロギーの第一の側面は、臆面もない反クルド主義である。人種差別主義であり、植民地主義である。>(p176)と。

もちろん、トルコを訪れたこともなく、トルコが置かれている国内外の情勢に精通しているわけでもない、わたしがトルコ政府の「国是」を安易に批判できるわけではないことは重々承知しています。しかし、一国家がある特定のイデオロギーを人民に強いることの危険性に警戒心を持たないわけにはいきません。ここで言われている「トルコ人」とは、トルコという一領域に居住している人間を指す言葉以上の、上位概念的な意味合いが付与されているのではないでしょうか。単にトルコに暮らしていれば、真正な「トルコ人」になれるわけでないのでしょう。いわば、「規範」としての「トルコ人」という言説が発する一種の“暴力”や“抑圧”の存在に敏感にならざるをえません。

たしかに、1920年代から30年代までのトルコ建国初期の困難な状況のなかで、国民統合の論理としてあえて用いらざるをえない事情もあったかもしれません。しかし、現在もなお、その論理にしがみつかなければならないとしたら、先述のカザンキラン一家のような、様々な悲劇や困難を呼び寄せてしまう。それがクルド人をめぐる一連の問題群として発生してしまっているように、わたしには思われます。

<誰が「トルコ人」なのか>という問いは、同時に<誰が「トルコ人」では無いのか>を意味します。「統合」の論理は、それゆえに同時に「排除」の論理を召喚してしまう。つまり、「いい加減、<自分をトルコ人と呼ぶ人間は幸せだ>とふれまわることには慎重であるべきだ」とわたしは言いたいのです。

はたして国家が「真・善・美」に象徴されるような、価値判断を伴う「規範」を語ることを素朴になしえてよいのかどうか。そのことは、翻ってトルコ国内だけでなく、トルコから遠く日本社会にもあてはまる、より普遍的な問題でもあるとも思われます。いま日本の首相を務めている安倍晋三氏は、そのタイトルが意味深長な著書『美しい国へ』(文春新書 2006年)のなかで次のように述べています。

すなわち、<心の底から、かれら(外国人――引用者)とコミュニケーションととろうと思ったら、自らのアイデンティティをまず確認しておかなければならない。なぜなら、かれらは《あなたの大切にしている文化とはなにか》《あなたが誇りに思うことは何か》《あなたは何に帰属していて、何者なのか》――そうした問いをつぎつぎに投げかけてくるはずだからだ。かれらは、わたしたちを日本人、つまり国家に帰属している個人であることを前提としてむき合っているのである。>(p92)と。

著書を通じて、<日本人としての自信と誇りをもてる「日本人」たれ!>と安倍氏は読者に呼びかけているわけですが、ここでいう「日本人」とは、日本国土に居住していること以上の意味が付与されていることは言うまでもないでしょう。つまり、日本国土に居住してはいるものの、真正な「日本人」になりきっていない日本居住者がいることを暗に想定していることが伺えます。安倍氏は、「日本人」を僭称することをめぐる文字通りの「争い」に手を出しているわけです。

そんなマヤカシの政治的「争い」に付き合うなと忠言してくれる人もいるかもしれませんが、安倍氏の言う「美しい国」への対抗措置として、あえて「誰が日本人なのか」と問うてみるとき、わたしは日本国憲法を参照せずにはいられません。つまり、現行の日本国憲法が現在の「日本人」の構成要素となっていると言いたい。その点に関して、著名な社会学者の橋爪大三郎氏は自身の著書のなかで次のように述べています。

すなわち、<戦後は日本国憲法というテキストがあるものの、これは無色透明で、第九条以降を読んでもどこの国の憲法なのかわからない。その前の第一条から第八条までのところに天皇のことが書いてあるので、日本の憲法だとわかるが、これは戦前を何となく引きずっているだけ。皇国史観みたいに日本のアイデンティティを主張するイデオロギーの要素は皆無。そんなわけで、日本国憲法をいくら読んでも、「日本人とは何か」に関する答えは得られないのです。>(『政治の教室』 講談社学術文庫 2012年 p100

橋爪氏は皮肉たっぷりに述べていますが、わたしは「それだからこそ逆に、望ましい。」「その無色透明な装いが心地よく響く。」と返したい。わたしは、「憲法愛国主義」と揶揄されようとも、日本国憲法は、ヨーロッパの立憲主義の成立過程、具体的にはイギリスの名誉革命、アメリカの独立宣言、フランス大革命やロシア社会主義革命をはじめとした一連の民主主義の成立過程(手痛い失敗も含めて)を通過した、人類史の到達点としての優れた“結晶体”であると考えます。

その要諦は、国家がある固有の価値(判断)を人民に押し付けることをできるだけ回避することにあるといえます。無色透明な中性国家は実在しうるのか、という問題もあるでしょうが、少なくとも国家は「規範」を語ることに禁欲的であらねばならないのです(しかも、憲法が人民による統治権力への命令だとする立憲主義の立場にたつならば、国家が「規範」を語るべきではないことはなおのこと当然だと思えます)。

たしかに、日々の日常生活の場面で、「何が適正なのか」という価値判断を他者に代行してもらいたい誘惑にわれわれは駆られることでしょう。政治的な意思決定の場面で、「何が正当なのか」ということを他者から指し示してもらいたい衝動にわれわれは駆られることでしょう。

しかし、日本国憲法はただ次のように述べるだけです。たとえば、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」(第13条)、あるいは「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(第19条)など。

”禁欲的”な条文が多数を占める日本国憲法を読んだ人は(ただし、前文や第九条に対して特別な感情を抱く人もいるでしょうが)、文字通り荒野に放り出された気分になるかもしれません。たしかに、わたしは憲法をめぐる様々な議論に精通しているわけではありませんし、直観的なかたちで述べるに留まりますが、「だからこそ憲法は、真実を指し示し、美しく、善いのだ」と語る欲求を抑えることができません(その点で、わたしは「真・善・美」の「規範」に抵触しているわけで、「矛盾」していることには自覚しています。また、そもそも「規範」を語ることが国家の存在理由なのだとしたら、そのことについて国家に自重を求めること自体、滑稽な行為に過ぎないのかもしれませんが)。

ところで、お前は「郷土を愛する情念」を否定するのかと問われるかもしれません。たしかに、個々人がそのような情念をどれほど強く持とうが結構だと思います。それは個々人の勝手です。

しかし、国家が人々の持つそのような情念を統合して政治的に利用することにつながる「愛国主義」には警戒すべきだと強調したいです。議論が飛躍するかもしれませんが、『オリエンタリズム』などの著作で有名なエドワード・W・サイードが、著書『パレスチナとは何か』(写真:ジャン・モア、訳:島弘之 岩波現代文庫 p298)のなかで、ウィリアム・ハズリットという英国ロマン派の批評家の言葉を引用しています。ここでその言葉を孫引きします(もちろん、クルド問題とパレスチナ問題とを同列に論じることはできないわけですが)。
 
ハズリットは「愛国主義」を「憎むことの歓び」だと特徴づけますが、それが「宗教の核心へと食い込み、それを根強い不快感や偏執に変える」ことにある、とサイードは理解します。ハズリットは「そのために愛国主義は、他の土地に火災・疫病・飢饉をもたらすための口実となり、その結果、効力を保つものといえば、疑心暗鬼の精神と、他者の行動や動機に眼を光らせる偏狭で嫉妬深く詮索好きな警戒心ばかりである」と述べていますが、サイードはそのような「愛国主義」が、「レバノン、イスラエル、イラン―そして、この三国すべてと深く関与してきた歴史を有する合衆国―に蔓延している宗教的熱狂とナショナリズムとのあのおぞましい混合に対して、これらの言葉が、そっくりそのままあてはまることは、あまりにも明白である。」と指摘しています。わたしはそこに、日本の安倍氏が唱導する「美しい国」や、トルコの「自分をトルコ人と呼ぶ人間は幸せだ」という合言葉の末路をみる思いがします。

夏合宿の主題である、クルド人難民をめぐる問題からだいぶ逸れてしまいました。ただ、人々をある一定の方向に統合し排除する、「国民」形成の原理が駆動することで一体何がもたらされるのか。少なくとも、クルド人問題はそのケース・スタディの「格好」の材料を悲劇的なかたちとしてわれわれに提供してくれているのではないでしょうか。

皆さんはどう考えますか?

【文責:飯島】