2015年5月5日火曜日

次回の学習会は5月12日(火曜日)です


 新入生の皆さんは、4月も終わって、大学生活にもだいぶ慣れてきた頃だと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。「学生時代も社会について考える機会を持ち続けたい」という方や、「大学生活には慣れてきたけど、なにか物足りない」という皆さん。ぜひ一度、TOSMOSの学習会に来てみませんか?

5月12日()の学習会では、下記の通り、「イスラム国」をテーマにTOSMOSの会員が報告を行います。見学自由・参加無料ですので、12日()はぜひ、お気軽にお越しください。なお、5月12日()の学習会の詳細は、以下の通りとなります。

日時:2015年5月12日(火曜日)19時00分~21時00分頃まで

場所:キャンパスプラザB312(部室)
※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam02_01_43_j.html
事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

テーマ:「バースの残党から考えるイスラム国」

報告者:TOSMOS会員

報告者による内容紹介
最近メディアに話題を提供することに事欠かないイスラム国ですが、その実態には謎が多く決定的といえる見解はまだ与えられていません。そこで最近発表された亡き幹部が残したメモを手掛かりに、アメリカの失策というイスラム国興隆の原因、それを育んだ中東の風土も含めてイスラム国の真の姿を読み解いていきます。

※報告者が資料を用意しますので、予備知識なしで参加していただいて大丈夫です。

事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。参加費は無料です。

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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 さて、4月28日(火曜日)のTOSMOSの学習会に参加の皆さん、お疲れ様でした。とくに報告者の方は詳細な報告をありがとうございました。当日の学習会のテーマは《「残業代ゼロ法案」と「派遣法改正案」を読み解く》でしたが、いかがでしたでしょうか。当日の報告では、対象となる法律の条文にも適宜目を通しながら、両法案の内容・趣旨・経緯などを確認しました。ここでは、当日の報告の簡単なまとめを試みます。

 【Ⅰ 「残業代ゼロ法案」について】

 まず、当日の報告では、今年4月3日に提出された「残業代ゼロ法案」の位置づけを知るために、この法案の具体的内容の検討に入るまえに、労働時間規制をめぐる歴史や理念について確認をおこないました。

 まず、そもそもここでいう「残業」とは、法律の定める原則的時間枠を超える労働(時間外労働)のことを意味します。そのため、労働時間に対する規制が問題となります。個人間の契約においては、近代市民法における「契約自由の原則」があり、個人間の契約関係に国家が干渉してはならないとされています。しかし、労働契約については、労働者と使用者の間では、一般に労働者のほうが不利な立場にあるため、「契約自由の原則」の修正として、例外的に労働者保護が必要となります。すなわち、各種の労働者保護法の必要性が生じるわけです。

 そこで、当日の報告では、工場法成立(1833年)からの、イギリスと日本の労働時間に対する規制の歴史を概観しつつ、資本主義国家が資本自身を規制する労働者保護法を生み出し発展させていった経緯を確認しました。なお、労働者保護法が生まれた原因をめぐっては、日本で1950年頃に、「総資本の理性」の働きを強調する大河内一男と、労働者自身による労働運動の役割を強調する岸本栄太郎との間で論争がおこなわれました。その論争に触れつつ、「労働運動の盛り上がりが総資本の理性を喚起するという形で両者が結合していったのだ」(西谷敏)との指摘の意味を確認しました。

 日本の現行の労働時間に関するルールは、労働基準法32条によって定められています。すなわち、「1、使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない」「2、使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。」です。しかし、32条で定められた法定労働時間を超えて労働者を働かせる場合の対応を定めた労働基準法36条(36協定)が、過労死をもたらすほどの長時間労働の原因となっているという批判が出されています。

 このように、労働者と使用者間の契約として、主に労働者保護をめざして成立・展開してきた日本の労働法ですが、近年、「労働者保護」の理念から逸脱・反転する動きが生じています。すなわち、「残業代ゼロ法案」の国会への提出です。

 そもそも、アメリカで1938年に制定されたいわゆる「ホワイトカラー・エグゼンプション制度」(以下、WE制度)を日本に導入しようとする動きが始まったのは、2004年の小泉内閣時のことです。この法案は、事務労働者の労働時間規制の適用除外を定めたものと言えるでしょう。日本経団連や厚生労働省などが主体となって導入を目指したにもかかわらず、労働者側などからの批判に晒され、第一次安倍内閣下で頓挫しました。しかし、民主党政権下で途絶えていたWE制度の導入の動きが、第二次安倍内閣のもとで活発化することとなります。そして、冒頭で触れたように、2015年4月3日、「残業代ゼロ制度」を含む労働基準法の改正提案を閣議決定し、国会に提出される事態となりました。

 では、この法案の中味に入っていきます。政府側は、今回は「WE制度」ではなく、「高度プロフェッショナル制度」と命名しています。これは、労働基準法に「41条の2」を新設するかたちをとっています。法律の対象は二つです。すなわち、①特定高度専門業務に従事する者、②平均賃金額の3倍を相当程度上回る水準の賃金額以上の者(政府は、年収1、075万円以上を想定)です。

 この法律に対しては様々な批判がなされています。手続的な規則をめぐる批判は次のとおりです。①使用者および労働者の代表者が構成員となっている労使委員会の決議が求められていますが、それが形骸化している点、②「本人の同意」についても、実際に職場で、使用者の求めに対して、立場の弱い労働者が断ることができるのか、疑問である点です。

 さらに、適用対象をめぐる批判は次のとおりです。①労働基準法における一切の労働時間規制の対象外となる、②「働き過ぎ防止策」として「年104日以上の休日」を定めていますが、「週休2日」(52週×2日)という最低限の規制に過ぎず、現状とほとんど変わらない、③企業にとって人件費の「節約」になる、などです。

【Ⅱ 「派遣法改正案」について】

 「派遣法改正案」については、当日の報告で、まず「労働者派遣」の仕組みと問題点を確認しました。すなわち、「派遣」とは、自己を雇用する労働者を、当該雇用関係の下に、かつ、他人の指揮命令を受けて、当該他人のために労働に従事させることです(派遣法2条1項)。しかし、「雇用」と「使用」が分離しているために、責任の所在が不明確になりやすいという問題点があります。

 労働者派遣法が登場した趣旨とは、戦前に広く存在していた、労働者供給事業でピンハネ等をおこなっていた労働ブローカーを「追放」することにありました。すなわち、1947年に「労働の民主化」を掲げるGHQの政策を反映して、労働者供給事業の禁止を含む「職業安定法」が制定・施行されます。しかし、その後、政府・労働省は、労働者供給事業とは認定されない「請負事業」の範囲を拡大し、人材派遣業が増加の一途となります。メルクマールとなるのが、1985年の労働者派遣法の制定です。この法律は、高度経済成長を経て、人材派遣業が急成長するなか、人件費の削減を望む財界などの後押しを受けて、成立することとなります。

 そもそも、雇用形態の原則として、「直接雇用の原則」が存在します。すなわち、労働力を利用しようとする者はそれを提供する者を直接雇用すべきであり、営利を目的とする第三者の介在を認めないとする原則(職業安定法44条)です。この原則に立つならば、派遣労働はあくまで「例外」として認められる過ぎないものなのです。

 しかし、派遣労働の対象業務の拡大の流れは、「小さく産んで、大きく育てる」とも言うべきものでした。先述の1985年制定の派遣法では、専門的業務など「13業種」に限定して派遣労働を認めるものでした。それが86年には「16業務」に、96年には「26業務」に拡大し、99年には原則自由化(ネガティブリスト化)し、03年には「製造業」についても解禁されます。まさに、原則と例外がひっくり返ったのです。

 特に99年の「ポジティブリスト」から「ネガティブリスト」への変更は、派遣法の「画期」をなすものでした。すなわち、派遣労働が認められる業務として、専門的業務などの26業務に限り認めるとした「ポジティブリスト」から、港湾運送業務、建設業務、警備業務、医療関係業務などを除いて、派遣業務が許されるとされる「ネガティブリスト」へと変更がなされ、原則自由化となりました。

 さらに、派遣可能期間も拡大の一途をたどります。すなわち「直接雇用の原則」の立場から、常用雇用の代替防止が図られてきましたが、99年には「26業務」については、上限3年、その他の業務(ネガティブリスト化で新たに認められた業務)は、上限1年に改正されました。さらに、03年には「26業務」については、上限を撤廃し、その他の業務については、上限を3年に延長されました。

 このような派遣労働の拡大の動きに一時的にせよ歯止めとなったのが、08年のリーマンショックのなかで「派遣切り」が社会問題化(派遣村など)したことが挙げられます。そうした情勢のもと、民主党政権下で、日雇い派遣の原則禁止を柱とする、派遣法改正案が成立・施行します。しかし、ここでも、自民党・公明党との修正協議の過程で、当初の政府案で盛り込まれていた「登録型派遣の原則禁止」「製造業派遣の原則禁止」は削られてしまいます。

 そして、民主党政権から自民党政権へと政権交代し、現在の国会に派遣法改正案が提出されます。その主な内容は、①すべての派遣会社を許可制に、②業務ごと(「26業務」とその他)の期間制限を撤廃し、「働き手ごとに3年」と改める(すなはち、人を替えれば、どの業務でも無制限に派遣労働者の使用が可能)、③派遣会社に対して、「3年の期限」を迎えた働き手へ「次の働き口」を用意することを義務づける(ただし、「次の働き口」は「他の派遣先」でもよい)などです。

 このような派遣法改正が急がれる理由として、直接雇用を促す「労働契約申込みみなし制度」(15年10月1日施行)による、いわゆる「10・1」問題があるとも言われています。だから、政府・自民党は今年10月1日までにはなんとか改正させようと躍起になっていると考えられます。

 以上、かなり長くなりましたが、当日の報告のまとめを試みました。マスメディア等で(単発に)報道されている「残業代ゼロ法案」と「派遣法改正案」が、わたしたちの生活にどのような影響を与えるのか。それを実感するのはなかなか難しい、というのが率直な感想ではないでしょうか。しかし、今回の学習会を通じて、わたしたちの働き方が劇的に変貌すること(雇用の劣化!)を多少なりとも実感することができたのではないでしょうか。

 先述の、大河内一男が主張するような「総資本の理性」は現代の日本社会で機能しているのでしょうか? わたし(飯島)は、むしろ、次第に小さくなっていくパイをいかに大きく分捕るかという、一種の「チキンレース」の様相を帯びた、資本の不断の「意志」のようなものを垣間見ます。百歩譲って、使用者側である企業などの(個別)資本は利潤最大化(ここでは人件費の徹底的な削減など)を目指して邁進するのは、資本の存在理由からして仕方がないとしましょう。しかし、資本・財界とは異なる部門である政府には、家計・労働部門が資本によって喰いものにされることから守る役割が期待されています。しかし、いまの日本政府・自民党やマスメディアは、資本によって“ハイジャック”されているようにも見えます。少なくとも、政府首脳のアタマの中からは、労働者保護の観点が消え去ってしまっているのではないかと言えば、言い過ぎでしょうか。

   「社会なんてものはない。個人としての男がいて、個人としての女がいて、家族がある。ただそれだけだ。」と語ったのは、イギリスの首相(当時)で、安倍首相が信奉しているという、新自由主義者のマーガレット・サッチャーです。しかし、わたし(飯島)は個人や家族が存立しえるのも、「社会」がそれらを包摂(保護)してくれているからだと思います。単に「国内消費市場」が縮小する(労働者が安心して商品を消費できなくなる)からというのではなく、労働者が人間らしく生活し労働するために、そして人類が「類的存在」として再生産(存続)できるために、資本よりも社会的に政治的に弱い立場ある労働者の権利を保護することこそが求められているように、わたし(飯島)には思われます。皆さんはどのように考えますか

 【文責:飯島】