2014年11月1日土曜日

次回の学習会は11月5日(水曜日)です。


次回の学習会の予定は以下の通りですので、よろしくお願いします。

次回学習会(駒場祭に向けた学習会)

日時:115(水曜日)18:30〜

○場所:キャンパスプラザB312(部室)

※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。


事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

 内容:社会保障について

(より具体的な内容は、当日に報告者から発表されますので、ご了承ください。)

なお、今後の学習会の際には適宜、学習会後に駒場祭に向けた打ち合わせも行う予定です。)

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?TOSMOSでは現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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 さて、10月29日開催のTOSMOSの学習会に参加の皆様、お疲れ様でした。

 また、報告者の方、報告ありがとうございました。テーマは「ベーシックインカム」についてでしたが、皆様、いかがだったでしょうか。

 以下、当日の報告について簡単なまとめを試みます。

 まず、報告ではベーシックインカム(Basic Income 以下BI)の定義づけをおこないました。すなわち、BIとは「すべての人に、個人単位で、稼働能力調査や資力調査をおこなわず、無条件で給付される制度」であると。もっと詳しくいえば、①現物ではなく金銭給付、②毎月ないし毎週といった定期的な支払い、③国家または他の政治的自治体(地方自治体など)によって支払われる、④世帯や世帯主にではなく、個々人に支払われる、⑤資力調査(ミーンズテスト)なしに支払われる、⑥稼働能力調査なしに支払われる、というように整理できるでしょう。

 このBIの定義をみて、アメリカの経済学者ミルトン・フリードマンが唱えた「負の所得税」を思い浮かべる人もいるかもしれません。「負の所得税」とは、最低生活水準以下の低所得の家計や個人に,その差額のある割合を政府が支給する現金給付額のことを指します。一見すると似ていますが、負の所得税はBIと違って①世帯単位に支払われる、②ミーンズテスト(資力調査)が必要であり、③事後に支払われる仕組みとなっています。

 皆さんは上述のBIの定義をみてどのような感想を持ちますか?慈善色が残る(それだけスティグマ〔恥辱感〕が発生する)公的扶助ではなく、すべての人間が有する権利としてBIに魅力を感じる人もいるでしょう。たとえば、女性の権利拡張を主張するフェミニストのなかには、世帯ではなく個人に支払われるBIによって家父長制を実質的に死滅させることができ、「家事労働にも賃金を!」との主張の実現への大きな一歩になると考える人もいるでしょう。

 あるいは、貧困問題に取り組んでいる活動家のなかには、貧困の罠(すなわち、賃金などの所得が増えても、それまで享受できた政府などの援助が打ち切られたり、減らされたりして、結局貧困から抜け出せない現象)の発生を回避して、よりマシな働き方への移行を金銭的に保障して、貧困からの“離陸”をあらゆる個人に可能とするような機会を提供することになると期待する人もいるでしょう。

 労働を取り巻く問題への解決の一助となるBI構想ですが、はたして実現可能性はあるのでしょうか。まず皆さんは「財源はどうするのか?」という疑問を持つことでしょう。その点については、財源を定率所得税に求める論者や累進所得税に求める論者あるいは消費税に求める論者など、まだ見解の統一はとれていないようです。ただ、報告によると、財源的な裏付けのための緻密な計算が欧米ではなされているとのことです。

 また、BIによって「労働への意欲を人々が失うのではないか?」という疑問もあるでしょう。しかし、最低生活が保障されることにより、自分が本当にしたい仕事に就く機会が増え、逆に労働意欲を増すという効果が期待できるとされています。今の仕事が嫌なら、やめればよい。あるいは、月5万円にしかならない仕事でも、その仕事にやりがいを感じる人はBIのおかげでその仕事に従事できることができるでしょう。人類史上初めて、「働らかざる者、食うべからず」の“呪縛”から解放されることで、逆に価値観(労働観)の変容・逆転が起き、より充実したライフワーク(天職)への従事が実現されるでしょう。だから、働き方の多様化を下支えする制度だともいえるでしょう。

 さらに、「このようなBIを実現させる政府とはいかなるものなのか?」という疑問もあるでしょう。誰がどのように実施するのか。従来の伝統的な社会保障を廃止してBIに統一するだけの強力な(もっといえば革命的な)政権が、国民からの階層・階級を超えた幅広く熱狂的な支持を取り付けたうえで、BIを実施することになるでしょう。BIの実現のため、その理念を国民に率直に提示して、きちんとした制度設計をおこなうなどによって、人々から明確な同意をとりつける必要が生じます。
 

 以上、当日の報告をもとに、BI構想の実現可能性について考えてみましたが、ブログ執筆者であるわたし(飯島)個人としては、現行の社会保障の在り方を再考するきっかけとして、BI構想を意味あるものとして位置づけてもよいのはないかとも考えます。たとえBIが実現できないとしても、社会保障の意義や施行状況を問い直すための、ある種の思考実験あるいは評価基準として考えてみる価値はあるのかもしれません。

 しかし同時に、われわれが生きている現在の資本主義社会のなかにおいて、BI構想はあまりに空想的だとも思えます。なによりもBIを生み出す(つまり、意味あるものとしてリアリティを付与するだけの)社会的基盤が資本主義の展開・発展のなかから見出すことができるのか大いに疑問です。BIを共産主義や社会主義の一亜流と位置づける論者もいるようですが、マルクスやエンゲルスなどの社会主義者たちは、自らの社会構想を歴史発展の関係上必然的な不可避な出来事として位置づけることでリアリティあるもとして提示しました。資本主義の発展により生じた矛盾の解消としての社会主義革命を彼らなりの科学性に立脚して企図したわけです。それに比べると、BI構想とわれわれが暮らしている資本主義社会の仕組みとの関係性が不明です。だから、資本主義社会の外部から導入するしかなく、そのようなことをする主体とはどこに存在するのかも不明となっています(ちなみに、マルクスらは“革命”の主体を、資本主義が必然的に大量に生み出す「プロレタリアート」に求めたわけですが)。だから、BIそのものは空想的「社会主義」の一種だと判断するしかないようです。ただし、先述のとおり、“思考実験”としての意義はあるのでしょうが。

 最後はちょっと辛い評価となりました。しかし、BIが支持される背景として、日本社会が成熟化社会へとむかうなかで、多様な人生や多様な働き方や多様な家族形態が広がりつつあることが挙げられます。つまり、従来型の社会保障が想定している社会像ではそのような多様な生き方に対応できなくなってしまっているわけです。BI構想はこれまでの社会保障の限界をある意味”告発”しているのでしょう。BIをめぐる議論の活発化は、社会保障の新たなる展開が必要となっていることを意味していると言えるのかもしれません。

 TOSMOSの当日の報告でも参加者から様々な意見が出て、それなりに議論がなされましたが、サークルとして確固たる結論が出されたわけではありません。皆さんはBIをどのように考えますか?

【文責:飯島】