2014年6月28日土曜日

次回の読書会は7月4日(金曜日)です。

 TOSMOSでは、次回(74日)は下記のとおり読書会をおこないます。

「読書会」では、前回と同様に、報告者が要約レジュメなどを作成して報告をおこない、その後でテキストの内容をめぐってみんなで議論します。

次回のテキストも古関彰一著『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫)です。74(金曜日)におこないますので、ぜひお気軽にお越しください。なお、『日本国憲法の誕生』は大部の著作なので、2回に分けて開催しますが、前回(624日開催)は前半部の序・第Ⅰ章から第Ⅷ章までを扱いましたが、第二回目である次回(7月4日)は第Ⅸ章から最終章までを扱う予定です。

「読書会」では、テキストの指定範囲(今回は第Ⅸ章<米国政府対マッカーサー>から最終章<「逆コース」のはじまり>まで)を事前に読んできて頂けると、より深い議論ができるので望ましいですが、テキストを読むことができなかった場合でも参加して頂いて大丈夫ですので、お気軽にご参加ください(できればテキストは、書店や図書館などで事前に入手して、ご持参頂けると幸いです)。

皆さんのお越しをお待ちしております。


●次回読書会

○日時:74日(金曜日)1830分から(2100分頃まで)

○会場:キャンパスプラザB312号室(B3階)の部室
 ※なお、部室(キャンパスプラザB棟)へのアクセスについては、下記のリンク先の地図を参考にしてください。

○テキスト:古関彰一著『日本国憲法の誕生』(岩波現代文庫版 2009年)
上記のテキストは、古関氏が旧著の『新憲法の誕生』に大幅に加筆・修正し、新たな書名に変えた形で岩波現代文庫から刊行されたものです。ついては、各自で用意して頂くテキストの指定としては、岩波現代文庫版の『日本国憲法の誕生』としますので、よろしくお願いします。
 
○扱う範囲:章(<米国政府対マッカーサー>)から最終章<「逆コース」のはじまり>まで〔220ページから381ページまで〕

○報告者:TOSMOSの会員

〇参加費:無料
 ※ただし、指定テキストを購入する場合、書籍代は自己負担となります。

事前の申し込みは必要ありません。直接、会場(部室)までお越しください。

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 TOSMOSは、現代社会の様々な問題について、その本質を究明し、解決の道筋を考える東京大学の学術文化系サークルです。
 国際情勢、国内情勢、政治、経済、科学、生命倫理など、さまざまなテーマに関して、学習会、読書会、合宿などを通じて理解を深める研究活動をしています。
 もし多少でも興味がありましたら、一度わたしたちの活動を見学してみませんか?
 TOSMOSでは、現代社会について一緒に研究する新入会員を募集しています。
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前回の読書会で扱った、テキストの該当箇所について簡単なまとめを試みます。

まず、著者の古関彰一氏は、2005年に自民党が結党50年を迎えるにあたって打ち出した「新憲法草案」について批判します。すなわち、「戦争の放棄」を「安全保障」と変えたのみで、他の章は日本国憲法とまったく変わるところがなく、「新憲法」などと呼べるものではない、と(自民党は2012年に「日本国憲法改正草案」を発表している)。さらに、日本国憲法を「改正」するならば、いくつかの外国の憲法が改正にあたり前憲法に触れているように、前文で日本国憲法に触れ、なにゆえに憲法改正に至ったのかを明記すべきであったと指摘します。

まさに、憲法を制定する能力が自民党にあるのかどうかが問われているといえるでしょう。同時に、その問いは、1945年の敗戦直後の日本の政治家・有識者(あるいは国民全体)に対しても向けられるべきものでしょう。現行の日本国憲法の水準にまで達するだけの質の高い憲法を当時の日本人だけの手によって作成することができたかどうか、という問いでもあります。

 この点、古関氏は本書で日本における制憲スタイルの特徴(問題点)を、GHQ案の制憲スタイルと比較しながら、浮き彫りにします。すなわち、周知のように、日本の憲法草案作成過程は次のように進みます。まず、東久邇宮内閣の無任所大臣だった近衛文麿が内大臣府御用掛として佐々木惣一京大教授を擁して憲法草案の作成をめざします。それにやや遅れて、幣原内閣の松本烝治国務大臣を中心とした憲法問題調査委員会が憲法草案作成に着手します。いずれの動きも、「国体の護持」に関心が集中しており、天皇制とは疑う余地のなき永劫不変の体制であるというのが大前提となっている点が共通していますが、さらに、古関氏は「制憲スタイル」もまた共通していたと指摘します。つまり、欽定憲法であった明治憲法の草案は伊藤博文が横浜・夏島にこもって作成されたように(「夏島憲法」)、近衛・佐々木らは箱根にこもって草案を作成し、松本は鎌倉にこもって草案を作成しました。この点について、古関氏は松本の動きについて次のように批判します。「〔松本らの〕憲法問題調査委員会の制憲スタイルを見ていると、天皇制の政治構造がみごとに浮かびあがってくる。委員の明確な責任分担のないままに、それはすべて「私的世界」ですすめられた。」と。終始、委員会は組織的というよりは私的に運営された点を問題にしているわけです。しかも、伊藤・近衛・松本らの制憲スタイル、すなわち個人が別荘にこもって草案を書き上げるスタイルは、後のGHQ案の起草過程とまことに対照的だといいます(憲法調査委員会ですら官制によらず閣議了解で設置が決まった点も注目すべきでしょう)。すなわち、GHQ案は憲法のいくつかの章ごとに小委員会をつくり、そこでできた素案を運営委員会で統一した案をつくっていったという点が対照的なのです。

では、GHQの制憲スタイルはどうだったのか、もう少し具体的に見ていきましょう。GHQのマッカーサーはホイットニーに「マッカーサー三原則」を提示し、それに基づいて行政部六課の長とその課員が発令され、さらに憲法草案作成の作業班(委員会)が設置されるという流れで進行します。運営委員会の下に、行政権に関する委員会、立法権に関する委員会、人権に関する委員会、司法権に関する委員会、財政に関する委員会、地方行政に関する委員会が設置されます。この制憲スタイルを古関氏は次のように概括します。「米国側はマッカーサーが三原則という基本をホイットニーに命じ、ホイットニーはすべてを行政部にまかせた。行政部はケーディスを中心に運営委員会をつくり、その下に委員会を置いて分担して起草にあたった。起草にあたった会議室に鍵はかけられたが、ケーディスが資料を持って一人で旅館に籠ることはなかった。つまり、GHQは個人的にではなく組織的に起草にあたっている。もう一点、天皇も幣原首相も、近衛や松本に起草を命ずるにあたっての原則を示していない」と。

たとえば、人権条項の起草過程を取り上げてみましょう。起草を担当した「人権に関する委員会」の構成員は、P・K・ロウスト、H・E・ワイルズ、B・シロタ嬢でしたが、「三人に共通してまず気づくことは、様々な豊かな経験があるにもかかわらず、法律を専攻もしくは職業をしたことは一度もないことである。しかし彼ら、とくにロウストとシロタは戦間期という緊張した国際社会の中で複数の国を渡り歩き、また様々な専攻や職業を経たことで、人権という人種や民族を超えた「人間の生来の権利」を起草するには、立法技術だけを身につけた法律家以上に適した資格をもっていたと言えよう。」と古関氏は指摘します。自分の役回りを終始「(立法)技術家」と自認していた(あるいは自己限定していた)松本とはパーソナリティの面でも対照的なのです。

ところで、「当時の日本人には立憲意思も立憲能力もなかった」という指摘が現代日本の論壇でなされることがありますが、それは本当なのでしょうか。その点に関して、民間草案の存在について言及する必要があるでしょう。「日本共和国憲法私案要綱」を執筆した高野岩三郎や、在野の憲法学者である鈴木安蔵などの中心とした憲法研究会の動きなどです。民間草案は、明治期の私擬憲法より数は少ないものの、その内容はアメリカ合衆国憲法やソヴィエト憲法、ワイマール憲法などを貪欲に取り入れ、「当時の世界の憲法の基本類型がみごとに参考にされている」(古関)ものだといいます。松本がすべての出発点を明治憲法に置き、外国の憲法を参考にするのは民間草案を攻撃するためにすぎなかったのとは対照的です。いずれにせよ、当時の日本人は憲法に関して無能であったとは断定できないでしょう。

以上の制憲の動きを総括すれば、日本政府側は、終始、思想らしい思想をたたかわす憲法論議はないままに、GHQ案の受け入れへと動いていくわけで、その点について、古関氏は「(8月15日につづく)第二の敗戦」であったとの評価を下しています。政治理念、歴史認識の敗北であり、憲法思想の決定的敗北を意味したといえるのかもしれません。
 
ひるがえって、現在進行中の集団的自衛権容認の動きはどうなのかを考える必要がありそうです。現行憲法九条を解釈改憲するという話ですが、自民党などの与党の動きは適切な制憲スタイルを採用しているのかどうかを国民ひとりひとりがチェックする必要がありますが、その際、本書で論じられたことが役立つのではないかとわたしは考えます。

以上、日本側とGHQ側の制憲スタイルの違いに注目しながらまとめてみました。そのほかに、GHQ案が提示された後の、いわゆる「日本化」の動きや憲法条文の口語化の動きなど興味深い論点もありますが、スペースの関係上、割愛します。

さて、次回は、米国とマッカーサーとの憲法制定をめぐっての攻防や、いわゆる「芦田修正」に象徴される日本の帝国議会での修正から、吉田茂首相の動向やいわゆる「逆コース」までを扱います。日本国憲法制定をめぐって残された課題などを概観しつつ、活発な議論や意見交換ができればと考えています。次回の読書会のご参加をよろしくお願いします。

【文責:飯島】