2013年5月24日金曜日

次回の読書会は5月29日(水曜日)です


現代社会研究会(現社研)の皆様、5月22日(水曜日)の学習会はお疲れ様でした。

さて、次回の現社研の活動は引き続き読書会となります。水町勇一郎著『労働法入門』をテキストに選び読書会をおこないます。以下が詳細です。「読書会」では、参加者はあらかじめ指定された文献(ここでは、水町勇一郎著『労働法入門』)を事前に読んできたうえで、参加に臨むかたちをとります。指定された文献については、書店もしくは図書館で事前に入手してください。当日は、報告者が要約レジュメを作成・報告し、その後に参加者みんなで議論します。さらに、当日の報告では、最近の労働問題の事例なども、ピックアップして報告する予定です。ただし、指定文献を読むことができない場合でも、参加はもちろん可能です。奮っての参加をよろしくお願いいたします。


テキスト:水町勇一郎『労働法入門』
     (岩波新書 800円+税)

日時:5月29日()18時30分から

場所:キャンパスプラザB312
  (現社研の部室 キャンパスプラザB棟3階)

〇参加費:無料

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現社研では新入会員を随時募集しております。一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。当サークルの日頃の活動の雰囲気を知りたいという方の飛び入り参加も大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、部室にお越しください。なお、部室の場所がわからない場合には現社研のホームページ上にある連絡先にメールをしていただきますよう、お願いします。

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さて、今回(5月22日)の読書会のテキストはヴィクトール・W・フランクル著の『夜と霧』でした。原題が『心理学者、強制収容所を体験する』であることからも明らかなとおり、知られざる強制収容所の日常をごくふつうの被収容者(著者である、心理学者のフランクルも含む)の魂にどのように映ったのかを問おうとする著作です。

フランクルは、「人間はなにことにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう」と述べているように、極限ともいうべき状況に人間が追い詰められたとき、いかに人間は振舞うのか、あるいは振舞うべきなのかを、心理学的な所見や人文学的な教養を下に、分析し描き出した、衝撃的な著作でした。

当日の読書会では、特にフランクルの強制収容所の体験をもとに、生きる意味について問い直しをおこなっている点に議論が集中しました。すなわち、「ここで必要なのは、生きる意味について百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題だ、ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。」とフランクルは述べています。そして、「生きることの意味」を問うのではなく、「ひとえに行動によって、適切な態度によって、」「生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けること」をフランクルは強調します。しかし、当日の読書会では、万人にそのような義務を課すことが適切なのかどうかが議論になりました。つまり、フランクルのような境地に達するのは少数者に過ぎず、われわれ大多数にそのような義務を課すことは酷であり、はたして意味あることなのかどうか疑問だということでした。

ただ、フランクルは、別の箇所では「精神の自由」について述べていますが、そこでは、「人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。」とされています。「精神の自由」は、「あたえられた環境でいかにふるまうか」というレベルでは、万人に開かれているとも解釈できます。

そうは言っても、強制収容所という文字通り極限状態における人間心理を安易に普遍化できるのか疑問だ、という意見も出されました。訳者(池田香代子氏)のあとがきによると、「読者の選ぶ二十一世紀に伝えるあの一冊」のアンケートで、翻訳ドキュメント部門の第三位に本書が挙げられたそうです。なぜ、一般人の圧倒的大多数はその人生のなかで体験しないであろう、極限状態下での心理を描いた書物が人びとの心に突き刺さったのか、それは確かに考えるべき問題だと思います。総力戦の様相を呈した世界大戦下あるいは高度に発達した資本主義下における人間疎外が進んだ二〇世紀(とくにその前半)特有の世相が時代背景としてあったがゆえに、この書物が人びとに共感をもって迎えられた、という事情があったのかもしれません。その意味で、「時代の書」と言えるでしょうか。

以上、当日の報告と議論の模様をかなり乱暴ですが簡単にまとめてみました。名著は読むたびに新しい発見があると言われます。また、機会があるたびに読み返してみることで、より深い人生観に到達するような読後感が得られると思います。参加者の皆さん、お疲れ様でした。

【文責:飯島】