2011年11月15日火曜日

次回の公開学習会は11月18日(金)です

 現社研の皆さん、こんにちは。先日の11月4日に開催された駒場祭プレ企画の第一回の公開学習会では、お疲れさまでした。  

 さて、11月18日(金)には駒場祭プレ企画である、第二回の公開学習会が開かれます。奮っての参加をお願いします。

〜〜〜原発大国へ変貌した被爆国
         公開学習会②〜〜〜
  

  ●場所 : 駒場キャンパス5号館516教室
  


  ●日時 : 11月18日() 
     18:30~21:00
   
   ●参加費 : 無料
  

  ●内容紹介:
 ≪被爆国として、広範な反核運動が展開された日本が、なぜ54基もの原発を抱える原発大国へ変貌してしまったのか。日本において原発が<受容>されていった歴史とメカニズムを解明し、これからの展望を考える。

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 一年生の方や、初めてこのブログを読んで関心を持った方など、ご自由にご参加ください。飛び入り参加、大歓迎です。事前の登録等も必要ありません。途中入退出も自由です。お気軽に、直接会場にお越しください。
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前回の公開学習会では、長年、原発の危険性に警鐘を鳴らしてきた、物理学者の小出裕章氏の著書を中心に学習会が行われた。その著書のなかで小出氏は、政府・財界・「御用」学者が唱える安全神話に対してひとつひとつ反証しながら、しかし、最後に次のように書き加えている点に、私は注目したい。すなわち、

「それでも原子力を捨てることができないのは、電力会社だけでなく三菱、日立、東芝といった巨大企業が群がって利益を得ているからです。次第に肥大してきた原子力産業は全体で「3兆円産業」と呼ばれるほどふくれあがり、すでに設置してしまった生産ライン、育成・配置してしまった人員も膨大です。もはやどうにも止まれない状態になってしまった。」(小出『原発のウソ』扶桑社新書 P163)
 
私たちはもはやここまで来てしまったのかと嘆息するほかはない。福島第一原発事故に直面しながらも、日本が「脱原発」へと舵を切ることができないことから生じる徒労感を覚えるとするならば、この期に及んでもなお、「原子力共同体」が確固として存立していることにあるのではないか。

 宇野重規・東大准教授は、「日本の原子力も、ひたすら邁進する自動機械のようになって、誰にも止められない。原子力専門家は『原子力村』と化し、素人は口を挟むなといわんばかりとなっていきます」と述べている(『朝日新聞』2011年5月21日)。
 
「原発震災」に遭遇して、改めて、私たちの安全・安心な暮らしのあり様に「原子力共同体」が深く根を張っていることに思い至る。私たちは、暴走するこの「自動機械」を本当に止めることができるのか。その“安楽死”は可能なのか。そう思うとき、この「原子力共同体」の形成過程をしっかりと見定める必要を痛感する。“敵”はいかにして生まれ、育っていったのか。その解明は、戦後日本の原子力導入・展開史の一端を知ることを意味しているだろう。

そもそも、戦後日本の原子力における「平和利用」は、1953年12月8日のアイゼンハワー米大統領による「Atoms for peace」(平和のための原子力)という国連演説から始まるとされている。その動きを相前後して、日本では、物理学者の武谷三男などの手によって「自主・民主・公開」という原子力平和利用三原則を高く掲げられることになった。しかし、結果として、その後の日本における原子力の「平和利用」はこの三原則を裏切る形で展開されることとなる。私は、「平和利用三原則」の蹂躙されていく過程を単純になぞるつもりはない。ただ、日本で初めて原子力予算を成立させた際に、推進派の中曽根康弘が口走ったとされている発言は、日本の「平和利用」の展開をある意味で象徴しているように、わたしは考える。すなわち、「学者がボヤボヤしているから札束で学者のホッペタをひっぱたいてやった」との発言は、原子力予算の突然の出現にただただ仰天するばかりの、当時の科学者たちに向けられた揶揄とばかりとは言えないだろう。戦後日本の原子力「平和利用」の歴史とは、日本人民の「ホッペタをひっぱた」かれていった過程でもあったとは言えないだろうか。そして、当然ながら、日本の原子力導入・展開は、第二次世界大戦後の冷戦下の、アメリカと日本の国家戦略に規定されていた、ということに、私たちは行き着くことだろう。

当日の報告では、まず、先述のアイゼンハワー大統領演説の真相を明らかにしたい。そして、「広島の人は世界に向って最も原子力の平和利用を叫ぶ権利がある」(中曽根康弘)という言説がそれなりに「歓迎」されて流通していった背景にある、「核兵器=絶対悪」と「原子力平和利用=繁栄」という構図が持つ波及力に言及したい。さらに、そして原発の立地周辺の住民が、表面的には「原発誘致反対」から「原発推進」へとスライドしていくことに典型的にあらわれている、日本人の原子力<受容>の歴史と仕組みを明らかにできれば、と思う。

・・・と私は意気込んで書いたが、準備がなかなか進まない。当日の報告で上述のどこまで言及できるか、心もとないが、最善を尽くしたと思う。奮っての参加をよろしくお願いします。

【文責:飯島】